日本で現在使用している太陽暦が採用されたのは1872年(明治5年)のこと。当時、政府は「来る12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする」と発表しました。それまで太陰太陽暦ですべてが動いていたのに、わずか23日後から暦が変わることになり、その混乱ぶりは想像以上のものだったようです。
しかし、この改暦は、太陽暦を採用している諸外国と外交上で足並みをそろえるため、そして日本が文明国家に仲間入りしたことを海外に広くアピールするための施行でもありました。その後の日本が文明国家として大きく成長したのはいうまでもありません。
ところが、社会は太陽暦にのっとって動いてはいましたが、大正、昭和に入るまで庶民の暮らしはまだまだ旧暦によるところが大きかったのです。たとえば、農村の種まきや祭礼日、親の命日などは旧暦通りに行われていました。1947年(昭和22年)の調査では「新旧暦を併用して使っている」と答えた人は、全国で44パーセントにものぼったとか。庶民の暮らしにいかに太陰太陽暦が浸透していたかを考えると、改暦当時の大混乱ぶりが想像できるでしょう。
ともあれ、日本国民に大きな衝撃を与えた1872年の改暦、この史実に基づき1988年(昭和63年)に全国団扇扇子カレンダー協議会によって、12月3日を「カレンダーの日」と定めました。
全国団扇扇子カレンダー協議会 ホームページより引用